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【よもやま話】車のことなど(シティR)

車のことなど(シティR)


 思い出話もミラージュⅡまできたので、そろそろマイカー話に戻ることに。
練習用の車チェリーFⅡは、車検がもともと10月(1982年)までだった。
個人的には更新して、もう少し練習してもいいのかなと思っていた。
けれども妻が「あんなこと(エンスト事件)があったから新しくして欲しい」と。
それに「中古は嫌い」と。
購入資金があったわけではないので新車を買うなんて考えは全くなかった。
さらに「月賦は嫌い」とも言う。
いや、サラリーマンは車などの高額商品は月賦が常識と言ったのだが…
育った環境が違うのか「嫌い」の、一点張り。
ちょっと困った。

とはいえ現実は現実である。
結局は月賦での購入になった。
購入に際してシティが欲しいというわけではなかった。
ただ、せっかく新車で買うなら気になったメーカーのホンダの車にしたかった。

Kちゃんの喫茶店でYちゃんに資金のことを含めて相談した。
Yちゃん曰く、「車は上位グレードを買った方が下取りがいい」、「装備もお得」ということで、上位グレードのRを買うことにした。

シティR.jpg
くるまのニュース HPより

主要諸元
         シティR          フィット(RS)
・外寸・車重
 全長      3380mm          3955mm
 全幅      1570mm          1695mm
 全高      1470mm          1520mm
 ホイルベース  2220mm          2530mm
 車重       665kg          1070kg
・エンジン
 排気量     1231cc(CVCC)   1496cc(DOHC) 
 最高出力     67ps/5500rpm     132ps/6600rpm
 最大トルク   10.0kgm/3500rpm   15.8kgm/4600rpm
 燃料供給    キャブレター         PGM-FI
・変速機     5速マニュアル        無段変速(CVT)
・駆動方式    前輪駆動(FF)       前輪駆動(FF)
・サスペンション
 (前)マクファーソンストラット       (前)マクファーソンストラット
 (後)マクファーソンストラット       (後)トーションビーム
・ブレーキ
 (前)ディスク               (前)ベンチレーテッドディスク
 (後)リーディングトレーリング       (後)ディスク
・タイヤ    165/70SR12     185/55R16



 Rと言っても後のタイプRとは無関係。
他のグレードとは足回り、サスペンションが強化されている程度。
すでにターボが発売されていたから最上位グレードではないけれど、ターボは高価すぎて手が出なかった。
この頃のホンダ車の特徴なのか、他のディーラーで比較したことがないので分からないのだが、後輪の泥よけやフロアーマットがオプション扱いだった。
装備もラジオやステレオは言うに及ばずパワステ、パワーウィンドー、クーラーも、すべてオプションだった。
なぜかスパイクタイヤは添付品に標準(スチールホイル)で、考えてみれば余計なお世話である。
ディーラーの利益の糊しろってことだなと思うのは、随分あとになってからだった。

諸経費、値引き込みで108万円が支払い総額。
頭金30万円、残りを月賦にした。
その割賦額の計算方法が納得のいかないものだったが、これもディーラーの利益の糊しろだったのだと今は思う。
とにかく練習用ではない愛車を手にいれた。

ところで購入に際して苦い思い出がある。
考えようによっては奇跡のような話なのだが…
この事件以来、お金に関して妻の信用はなくなった。
まぁ、当たり前だ…
実は頭金を落とした!
それもナマで。
万札30枚、半分に畳んではいたが…ポロリである。
社内預金から30万円を下ろしたのが金曜日。
それが月曜日に奇跡のように出てきたのだ。
妻にはボロ雑巾になるまで怒られた。
はずだが、その場面は記憶がないから情けないものだ。

出社した朝、課長が「タクシーチケットをルールと違う使い方をしたのは誰だ?」と怒っていた。
今にして思えばチケット番号から犯人(?)は自分だと分かった上での発言だったと思うが、当時はそう思わず「バレたか」という感覚で「私です」と名乗り出た。

そのルールと言うのは、必要に応じてアシスタントの女性事務員に使用目的を申し出てチケット番号を台帳に記入するということだったのだが、自分はアシスタントを丸め込んで一冊まるごと持っていたのだ。
それが落ちていたということだった。
ひとしきりルール厳守と万一出てこなかった場合の会社としての損害、補償問題、業績評価や人事考課に与える影響など説教された。
何よりも監督責任の課長の立場に泥を塗ることになることを強調された。

まぁ、当たり前の話で反省するしかない。
課長の寛大な配慮で事はなかったことにしてもらったが、なにやら口元が緩んでいて妙な笑いをこらえている様子。
「ところで他に何か気になることはないか?」と尋ねてくる。
タクシーチケットについては他に思い当たることはないので「別に…」と答えた。
「チケットのことじゃないぞ」と、なおも笑いながら問いかけてくる。
やっと気がついた。
「金、落としました」
「そうだろう。チケットと一緒に落ちていたそうだ。万一、チケットが一緒じゃなきや出てこんかったぞ。届けてくれた人の住所はここ。すぐ、お礼に行け」と。

慌てて手土産の菓子折りを買い謝礼金の3万を準備して(確か)、タクシーでその方の自宅を訪ねた。
事務所の裏通りに耳鼻咽喉科の病院があり、そこに通院されていた女性の方だった。
車の頭金だったので「本当に助かりました」と何度もお礼を言ったのだが、「よかったですね」だけで、謝礼金は受け取ろうとしなかった。
あまりしつこいのもいかがなものかと思い、菓子折だけは置いて事務所に戻った。
世の中にはできた人がいるものだと感心するやら驚くやら。
自分だったら「うー」とか「あー」とか言いながら受けとるだろうなと思った。
まぁ、今だから言うと内心ほっとした。

こうして手にいれたシティ。
さて、どんな車だったか、思い出話を綴ってみる。

 大きさは現在の軽自動車とほとんど変わらない。
それを思うと、軽自動車は大きくなった。
エンジン性能はシティがグロス値であることを考えると、現在の軽自動車は凄い。
660ccで、グロス表示するなら80馬力といったところだろう。
以前、代車でNーBOXカスタムに乗ったことがあるが、街中を走る分には十分なエンジン性能である。
いや、このシティですら十分だったのだから余裕の性能だろう。

シティのエンジンはホンダ独自の低公害対策方式のCVCCⅡ。
ストレスなくよく回るエンジンだった。
というか、この頃の他車は排ガス規制の影響で回らないエンジンが多かった。
それほど多くの車に乗ったわけではないが、4~5000回転で頭打ちという感じ。
燃費も1200ccだったから、日常的に気にしたことがないほど。
最高は一般道の長距離で20km/lと十分だったけれど、1400ccのチェリーFⅡでも記録したことがあるので、それが不満と言えば不満だった。

内装は初代シビックから受け継ぐ助手席にトレイがあるデザイン。
これ、けっこうお気に入りだった。
後にクイントインテグラに乗ったときの不満は、このトレイデザインが踏襲されなかったことであった。
脚回りは固くホイルベースが短いこともあって街中では落ち着かない印象。
でも味わい的には好きである。
後輩のY氏から「ピョンピョンしている。あなたのキャラには合ってる」と言われたのが忘れられない一言。
そうか?自分がピョンピョンしてるって、どういうこと?

エピソード1 ホワイトアウト初体験
 1983年(昭和58年)1月、母方の祖母が亡くなった。
葬式には、妹と3人で車で行くことにした。
妻は乗り気ではなかったと思う。
場所は北海道北見市。
札幌から車で約300km。
石北峠は日高峠に比べると傾斜も穏やかという記憶があった。
ところが、その日は朝から大雪。
妻は「大丈夫?電車にした方がいいんじゃない?」
「大丈夫。雪は滝川あたりまでだよ。滝川過ぎれば雪は止むから」と、いま考えると何の根拠があって断言したのかと不思議に思う。
たぶん会社の出張で一度そういう体験をしたのだろうなぁ。

出発すると雪はどんどん大降りになり、岩見沢あたりで吹雪状態になった。
視界は真っ白!
後で知ったのだがホワイトアウトという現象で初体験である。
さらに後部座席に乗っていた妹が「お兄ちゃん!凍ってる!」
シティの内装は鉄板がむき出しになっていたので、3人乗車で車内の湿度が上がったのだろう、それが結露して氷柱状態になったのだ。
1200ccだからヒーターのパワーが弱いのかと思ったのだが、あとから考えるとその日はかなり寒かったのだ。
なにしろ翌日のニュースで北見の最低気温が-25℃と報じられていた。
人生初の氷点下20℃以下体験、朝10時頃だったと思うけれどラジエターの前に段ボールを挟んで走行している車を見た。
シティのヒーター能力が低かったわけではないのだ。

ホワイトアウトは、とにかく恐ろしい。
前方が見えないだけではなく横も見えないから、路肩がどこなのか分からない。
前方の車のテールランプを頼りに走るしかない。
途中、前を走っていた車が左にウィンカーを出し停車した。
何か車の調子でも悪くなったのかと思いながら通りすぎたら、後ろについてきた。
しまった、そういうことか!
しばらくは、たっぷりの緊張感で白一色の道なき道を走らざるを得なくなった。
確信したとおり滝川あたりから雪がやみ、先ほどまでの吹雪はいったいなんだったのかと思うほど晴れ、無事に北見に到着した。
今考えると天気予報もよく確認せず無謀な長距離ドライヴだったなと冷や汗ものの思い出である。
若いということは危機意識より冒険心や快楽本能が強いものなのだ。

エピソード2 初めてのスピード違反
 練習中のチェリーFⅡでは制限速度プラスα程度でしか運転したことがなかった。
まぁ、この傾向は今も同じである。
だから移動時間の表現に微妙な差が生じる。
例えば山形経由で新潟まで他の人は3時間半から4時間だが、自分の場合は間違いなく4時間以上かかる。
 さて当時の車は速度警報器がついていた。
105kmだったか110kmだったかは忘れてしまったが、超えると警告音が鳴るのだが、だいたいは♪キンコーン♪という音色なのたが、シティの場合はブザー音。

ある日、小樽まで高速でドライヴしたとき、珍しくその警告音が鳴ってしまった。
帰路に妻が「さっきの警告音、面白い。もう一度聴いてみたい」と言い出した。
「えっ?速度違反になるけど…」
まっ、いっかと速度を上げた。
ブザーが鳴り、しばらく走ると覆面パトカーに止められた。
よく確認してから速度を上げろという話だが、それまで覆面パトカーなんてあまり気にしたことがなかった。
今は知らないが当時の札樽道は80km制限、18kmオーバーで捕まった。
この時、初めて実際のメーター速度より低い速度で違反になることを知った。

なんとなく腹立たしくて翌週に中山峠方面にドライヴしたとき、追い越し禁止の一般道で、今風に言うと煽り運転っぽい車が後ろについたので制限速度で走り続けた。
業を煮やしたのだろう、しばらくして追い越して行った。
「捕まると面白いのに」と妻に話しかけたら、本当に捕まっていた。
速度違反なのか追い越し違反なのかは分からない。
せも、なんとなく気分がスッキリした。
「人の不幸は蜜より甘い」を実感した瞬間である。

エピソード3 雪壁激突
 Yちゃんとホンダ1300クーペ9で街中をドライヴしていた高校時代、「FFは基本的にはFRに比べて雪道は強い」と教わった。
「だからスパイクタイヤじゃなくても(スノータイヤ)で十分」という話なのだが、確かに街乗りではそうだった。
特に坂道発信時のFRは大変で、何度も滑って発進できない光景を目にした。
だから気をつけていたのだけれど…やっちまった。
その日は会社のメンバーでスキーに行った。
細かい経緯は忘れてしまったが、麓の第一ゲレンデから少し上の第二ゲレンデへ先輩を乗せて向かうことになった。
その帰り道、一人乗車で重心がさらに前方にかかっていたせいなのだろうか、下りのゆっくりとした右カーブでハンドルが利かなくなった。
あれ?と思い、さらに右へハンドルを切るが車体の動きに変化はなく、そのまま雪の壁に激突してしまった。
跳ね返って反対車線に逆向きになって止まった。
幸い対向車もなく大事には至らなかった。
自分では、それほどスピードを出しているつもりはなかったが、結果からみるとオーバースピードだったのだろう。

左フェンダーとFRP製のバンパーがおじゃんになった。
ディラーに確認するとフェンダーが4万円、バンパーが6万円、他に工賃とサスペンションの軸がブレていたら別費用がかかると言う。
エライ出費だ。
妻曰く「注意力散漫!」と言い訳無用である。
営業マンが中古品を探してきてくれたので、確か総額6万円の修理費で済んだ。
ただバンパーは同じものがなく、シティターボのものになってしまった。
フォグランプを取り付けるための大きな穴が空いていて、ちょっと間抜けな印象の面構えになってしまった。
今ほど写真を撮る習慣がなく、残念ながらシティRの勇姿は残っていない。

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