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【よもやま話】車のことなど(免許取得のこと)

車のことなど(免許取得のこと)

 前回は、若者の車離れについて考えてみたが、かく言う自分も車自体に興味はあったが、若い時分は所有欲はそれほど強くなかった。
昭和49年に東京で職に就いたが経済的に車を持つ余裕はなかったし、それほど欲しいとも思わなかった。
そもそも免許を持っていなかった。
経済的な余裕ができたら、いずれ取得してもいいかな、程度の意識であった。
職場でも車を所有している若者は、思い返してもほとんどいなかった。
5歳年上の先輩W氏が、会社の寮を出た際にスバル1000を中古で購入したのが、一番身近な所有者だったかもしれない。
上司を含めて周囲と車談義もしたことがなかった。
ただ同じく5歳年上の先輩O氏が、「田舎に戻るとさ、同期の連中は皆車持っているよ。自宅だから自由になる金が多いんだ」と言っていたのを思い出す。

そんな自分が免許を取得することになったのは、1980年(昭和55年)4月に地元の札幌へ転勤してからである。
配属された職場の課長から「免許がないと業務に支障が出るから取れ」と業務命令のように言われたので、「費用は会社が負担してくれるのですか」と訊いた。
「ばか、そんなもの自分で出せ」と言われてしまった。
実は金がなかった。
転勤に伴う引っ越し費用は概ね会社負担だったけれど、それまでの呑んだくれ生活が祟って所持金は限りなくゼロに近かった。
とても免許を取得するため自動車学校に通う金はなかった。

先輩の中に「直接免許試験場で受験すれば安く済む」というアドバイスにもならない助言をしてくれる人がいたが…話にならない。
6月にボーナスが出て、やっと自動車学校に入学することになった。

ただ、当時は本当に免許を取りたくなかった。
免許を持つと車が欲しくなり必然的に飲酒時間が減ることになると本気で思っていて(昼間から呑むのも好きだったので)、それは厭だなと思っていた。
それに業務で、それほど困ってはいなかった。
北海道内の出張が比較的多い業務だったが、出張先は主に支庁所在地である。
公共交通機関で十分にことは足りる。

もっとも、これはまだ本格的に業務を任されていなかったせいで、暫くすると車移動の必要性を痛感するようになる。
一つは連続して移動することが公共交通機関だと効率が悪い。
さらに路線が、どんどん廃線になっていったため益々不便になった。
二つ目は公共交通機関だと提案説明書などの資料やデモ用の器材を自由に運べない。
これは如何ともしがたく、免許取得は業務上必須のことになった。
でも…心は、まだ抵抗していた。

 心に葛藤があったせいか、自動車学校を卒業するまで4ヶ月もかかってしまった。
自動車学校に入校したのはボーナスをもらってからなので、7月の中旬くらいではなかったかと思う。
直属の上司から「販売店の支店長(だっと思う)の知り合い(親戚だったかも)が教師をしている学校があるから、そこへ通うといい。丁寧に指導してくれるよ。自分も、そこへ通ったから」と言われ、手土産をもって挨拶に行ったような憶えがある。
でも特別料金ではなかった。
今思えば、教え方が丁寧だったのと文句をあまり言われなかったこと、最後まで諦めずに面倒をみてくれたことぐらいか…
もっとも、この最後まで諦めずに指導してもらったおかげで、なんとか免許取得に漕ぎつけたようなものなのだが。

通い始めて最初に驚いたことは、どうも空間の把握能力が自分は弱いこと。
我ながらびっくりしたのだが、サイドミラー、バックミラーを見て、他車との位置を把握するのが苦手なことに気づいたのだ。
これには本当にビックリポンで、当然だが縦列駐車やクランクも苦手だった。
仮免を取得するまでには慣れたけれど、苦手は苦手。
仮免で公道に出る前に、自主的に2、3度教習所内を走らせてもらった。

もう一つは、道を覚えるのも苦手なこと。
まぁ、これは元々方向音痴なところがあるので驚きはしなかったが、教習所内のコースを覚えたり仮免の走るコースを覚えたりするのに酷く苦労した。

文句を言われなかったといえば…
当時から大酒かっくらい生活だったので午前中の教習の時、自分でも匂うほど酒臭いことが幾度もあった。
自分で匂うということは、相当な酒臭さで…ほぼ酒気帯び運転になる。
そういう自覚もあった。
さすがに仮免で公道を走るときは、なかったともうけれど…どうかな?

 1ヶ月半ほどで無事に実習を終え仮免も合格、あとは学科試験を受けるだけ。
ところが転勤して4ヶ月ほど経過、直属上司との関係も良好。
つい、あれもこれもと業務の幅を広げ始めた。
「Oさん(直属上司)、せっかく部下ができたんだから事務処理的なことは全部任せてください。Oさんが元々、やりたかった新規開拓にパワーを割いてください」みたいなことを酒席で言ったような気がする。
忙しくなった。

ついつい学科の単位取得が延び延びになってしまった。
そうは言っても、なんとか学科試験に合格して自動車学校を卒業した。
次は運転免許試験場での学科だけになったのだが、ここで「免許なんていらない」感情が、むくむくと鎌首をもたげてきた。
「社命により自費で行きたくもない自動車学校に通わされた。一応卒業したので任務は終了。免許取得は個人の自由」と、免許試験場のことは棚上げにした。

年が明けて1981年(昭和56年)、もうすっかり免許のことは忘れた5月末ごろだっただろうか、自動車学校から「卒業して半年ほど経つけれど、まだ免許試験場に行っていないようだね。時間も費用もかけたのもったいないよ。卒業して1年経つと最初からやり直しだよ」とチェックが入った。
「いや、ちょっと忙しくて」と、その場をやり過ごしたのだが…
直属上司のOさんやら、高校時代の友人たちから「そんな、もったないこと」と説得され始めたのだが…まだ、心は抵抗していた。

夏も過ぎ、秋も過ぎ冬が近くなったある日、またまた自動車学校から連絡があった。
「もうすぐ1年、きっと学科の勉強などしていないだろうから、学校で模擬試験をします。明日、来るように」ときつい調子で言われた。
行ってみると模擬試験というよりは、懇切丁寧なご指導であった。
「免許試験場での試験は、あと一週間の期限までに3回しか受験日がない。必死で勉強し直さないと合格できないよ」と言われ、帰りにはドサッと練習問題を渡された。
「土、日でしっかり自主学習して受験するように」と念を押された。
今になって考えると脱落者を出すと学校の評価に問題があるという事情があったのかもしれないが、当時は「面倒見がいいなぁ。先生の知り合いというコネのせいかな」と思ったりした。
まぁ、兎にも角にも。こうして無事に免許取得に成功し、頼りないカーライフが始まることになった。

教習所で使用していた車はセドリックかグロリアのコラムシフト、タクシーと同じ仕様だったなぁ。
そういえば高速道路の教習ってあったかな?
無かったように思うのだが…
当時、北海道の高速は札幌~小樽の札樽道と札幌~千歳の道央道だけ。
SAもPAもなかったし、そもそも市内中心部に乗り入れてなかった。

 やっぱり免許を取得すると車が欲しくなる。
「よし!買うぞ」と購入を決意したのだが…金がなかった。
理由は二つ。
一つは相変わらずの呑んだくれ生活。
毎月の給料は酒代とタクシー代に消え、ボーナスも半分は酒代だった。
もう一つは、当時付き合っていた妻と、そろそろ結婚しようかと思い始めたこと。
貯金しなくっちゃ!

トヨタ2000GT.jpg
GAZOO HPより
日本車だって美しい!(ボンドかーのもなったトヨタ2000GT

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