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【Netflix鑑賞】スタートレック/ベータ・スリーの独裁者

スタートレック/ベータ・スリーの独裁者
 制作年  1966年
 監督   ジョセフ・ペヴニー
 出演   ウィリアム・シャトナー、レナード・ニモイ、デフォレスト・ケリー、
      ジョージ・タケイ、ニシェル・ニコルズ、ジェームズ・ドゥーアン、
      ハリー・タウンズ、チャールズ・マッコウレイ、ジョン・ローマー、
      トーリン・サッチャーほか
 劇場公開 劇場未公開
 鑑賞年月 Netflix鑑賞 2020年11月


 本作も「コンピューター戦争」同様に、システムが作り出す平和に対する疑問がテーマになっているように思う。
「コンピュータ戦争」ではバーチャルな空間でコンピュータ同士が戦い、導かれた結果としての犠牲を人間が受け入れることで平和を維持するという、ちょっと分かりにくい論理(冷戦構造に近い?)だった。

本作も、ちょっと分かりにくかった。
惑星ベータ3に暮らす人々は、ある時間を除いて平和だった。
「祭り」と称される時間になると精神の解放なのか、欲望の解放なのか、皆暴徒化してしまう。
あらら、この姿というか映像、よく米国のニュース映像として見かけるなぁ。

分かりにくいのは、これが支配者のコンピュータの指令によるものらしいこと。
それが独裁者なのか?
「祭り」の実行と平和が、どうつながっているのか?
よく分からない。

昔、長崎出身の先輩T氏が「長崎人は祭りが好きで熱中する。これは長崎は商人が多く外国との付き合いが多いので、ヨコシマな考え(反乱、一揆)を起こさせないよう幕府が奨励しらからだ」と言っていたが(本当かな?)、為政者や支配者はそういうこのなのか?

それでもレジスタンスが存在していて、彼らと一緒にランドルーと呼ばれる支配者に立ち向かうのだけれど…
コンピュータに対するカーク船長の論理展開も、「コンピュータ戦争」同様に無茶苦茶なような気がして、よく分からなかった。

平和と人間性の両立に関する矛盾で論理展開が無限ループに入ったコンピュータ、意外にあっさり自滅してしまう。
論理の矛盾を受容しながらも生きていける人間との違いであり、それが人間性なのだと主張するカーク船長。
当時としては説得力あったのかな。
少し前までのコンピュータ映画では、よく使われていたがAIになってからはこの矛盾問題はインパクトがなくなってしまった。

数年後、忘れてしまいそうなエピソードだ…

スタートレック/ベータ・スリーの独裁者.jpg
スーパー!ドラマHPより

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