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【BD鑑賞】THE ’70s アメリカ性革命

THE ’70s アメリカ性革命
 制作年  2015年
 劇場公開 劇場未公開
 録画日  BD形式 2016年
 鑑賞年月 BD鑑賞 2016年9月


 この番組を観ていると自分の中学、高校時代というのは、善きにつけ悪しきにつけ米国文化の影響をもろに受けているのだと痛感する。
同時に自分自身の洋モノかぶれの要因の一つだろうとも思う。
それを無批判に受け入れる教育だったことも、拍車をかけたことも間違いない。
まぁ、日本自体が米国がくしゃみをすれば風邪をひくと言われていたぐらいだから、
当然と言えば当然だろうが…

もっとも、この言葉には「日本が風邪をひけば世界が肺炎になる」という
オチがつくそうだ。
日本のGNPが当時の西ドイツを抜いて世界第2位になったのは
1968年だそうである。
世界経済の1、2位の国がくしゃみをして風邪をひけば、
世界は大変なことになるという訳だが、
太平洋戦争の敗戦国家が、ここまで世界に君臨するようになっという子供じみた自負心が感じられて微笑ましい。
言われていた当時は、それだけ世界経済は複雑に繋がっているものなのだと
思った程度だったが…なにしろ風が吹けば桶屋が儲かるで教育されている。

 さて、性革命。
これを耳にして真っ先に思い浮かぶのは東欧世界のフリーセックス。
実際は知らないが、当時はそう言われていたように記憶している。
思春期真っ只中の中高生男子生徒の頭の中は、シルビア・クリステルが演じた
エマニエル夫人(1974年)」の自由奔放な生活感のまったくない世界が、
性革命そのものであった。

もうひとつ、当時ニュースでよく耳にしたのはウーマン・リブという言葉。
これは性の解放ではなく女性の解放という運動である。
本作のテーマもここにあるのであって、この邦題は誤解を招くかもしれない。

レボリューショナリー・ロード(2008年)」のヒロインが苦悩したように、
1950年代の米国社会では女性の社会的地位は低い。
低いというのは語弊があるか…
かなり制限的である。
まぁ、ありていに言えば「女は女らしく」である。
性別による役割分担と言ってもいいだろう。

当時、どこからその手の話を聞きつけたものか、よくは憶えていないのだが、
男女同権について考えていたことがある。
自分の中では「男女は同権ではあるが性的には区別される」というものだった。

その後、社会人になってもこの考え方はあまり変わらず、
今もおおよそは同じである。
当時は思ってもいなかったことだが、
現在は「ゆき過ぎた性の解放は、生物的には問題」という認識もある。
どうがんばっても男は子供を産めないのである。
その役割分担(と言っていいのかどうか)は、性差が個体的に存在している以上
どうにもこうにもしようがない。

そういう中で、後世に自分自身の遺伝子を残してゆくためには、
「男女は同権ではあるが性的には区別される」のは致し方ない。
ただ女性だけが社会的に不利益を被ることは、
可能な限り排除されるべきであろうとは思う。

それにしても当時の映像を見ていると、女性たちの行動は過激に映る。
直接的といってもいい。
それだけ抑圧されていたということかも知れない。

そんな中で女性解放運動に抵抗する女性が登場する。
名前は失念してしまったが、男女平等憲法修正条項(ERA)に明確に反対した。
彼女の思想的背景は、よく分からない。
伝統的なキリスト教徒だったのだろうことはうかがえるし、
経済的にも比較的恵まれた家庭環境にあったように思われる。

つまりは、そういった「女」として保護されている権利を、
わざわざ捨てることは無いという主張だ。
ふっと思い出したのは、日本における男女雇用機会均等法(1985年制定)が制定された前後の下世話な話題である。
「男女に性による差別なく仕事をさせていいなら、残業だって厭わずにやってもらえる訳だ。でも、それによって体調を崩して子供が産めなくなったりしたら、誰が責任を取るんだろう」

日本企業における残業は、建前は管理者(上司)からの命令で、
行うことになっている。
しかし生産現場のような職場ならいざ知らず、
営業や企画といった事務系の職場では実態は労働者の自己判断であることがほんど。

事務系の職場では、命令は抽象的であり成果は具体的に求められる。
今期の売上目標はいくら、なんて数値だから具体的と思ってはいけない。
数値をあげるための具体的手法は、その取扱い製品、市場特性、職場や企業の文化、
そして個人の職務遂行能力などによって千差万別なのである。
残業で体調不良を起こした時、もちろん労基法的に違法と判断される場合がある。
しかし、そこも現実的にはグレーゾーンがある。
本当に女性たちは、それを受け入れるのか。

賃金や昇格面では不利だったかも知れないが、女性は様々な形で保護されていた。
男だって、誰もが好き好んだ職種、職場、企業で働いているわけではない。
夢を諦め、現実的に対処している男たちがほとんどで、好きなことを本当にやりたいのなら独立して起業するしかないのだ。
少なくとも民間企業では、そう言えると思う。

その米国女史は、そういった保護された性としての女性、乱暴に言えば男の経済力の傘下で過ごす権利を、なぜ放棄するのかと反論したのである。
大きな反響を呼んだようだ。
その主張に100%同意しての結果かどうかは分からないが、
結果的にERAは成立しなかった。

まぁ、しかし。
その後の米国社会は、当時の女性解放運動家が目指した方向に
進んでいるように思われる。
果たして今後、女性大統領が出現するか。
それは分からないが少なくとも1950年代の米国女性には、
その選択肢は存在しなかった。

我々は、GHQが理想とした教育体系のもとで育った。
男女同権にしても米国以上に先進的な教育を受けたことになる。
しかし、この女性解放運動に反対した女性の主張も一理あると思う。
そこには、それぞれの国民が、あるは人種が慣習的に育んできた
社会的男女観がある。
それを短期的に破壊することは、あまりよいことではないということを
米国の女性解放運動は物語っているのではないだろうか。

この運動の行きつく先に、さらなる少子化が待っていないことを切に願う。

THE ’70s アメリカ性革命.jpg
Youtubeより

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