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【劇場鑑賞】羅生門

羅生門
 制作年  1950年
 監督   黒澤明
 出演   三船敏郎、京マチ子、志村喬、森雅之、
      千秋実、上田吉二郎ほか
 劇場公開 1950年8月
 録画日  WMV形式 2003年11月1日
      DVD形式 2009年3月7日
      BD形式  2017年10月1日
 鑑賞年月 WMV鑑賞 2003年11月頃
      DVD官署 2009年3月
      劇場鑑賞  2019年6月


 言い古されたフレーズになるが、また昭和の大スターが一人逝ってしまった。
リアルタイムで全盛期の活躍は知らないのだが、本作の京マチ子はとても美しい。
美しいだけではなく、その気迫に満ちた演技には恐れ入ってしまう。
(この鑑賞記録メモは2019年6月に書いた)

さて街の北側にあるミニシアターで、彼女の冥福を祈って
「京マチ子映画祭」なるものが開催された。
ついこの間までは、樹木希林が特集されていた。
こういう企画は、ありがたいものである。
師とい仰ぐ映画博士A氏には「何か1作品ぐらいは観たいものです」と
報告したのだが、時間が経つと忘れてしまう悪い癖を自覚したので、
さっそく本作を鑑賞することにした。

ちなみに他の上映作品は、
・流転の王妃(1960年)
・愛染かつら(1954年)
地獄門(1953年)
・源氏物語(1961年)
・有楽町で逢いましょう(1961年)
雨月物語(1953年)
鍵(1959年)
・踊子(1957年)
・藤十郎の恋(1955年)
・夜の素顔(1958年)
・黒蜥蜴(1962年)
・浅草の夜(1954年)
・赤線の灯は消えず(1954年)
・いとはん物語(1954年)
・お傳地獄(1960年)
・浅草紅団(1952年)
・あなたと私の合言葉 さようなら、今日は(1959年)

丸山明宏版の「黒蜥蜴(1968年)」は面白かったからなぁ。
京マチ子版も機会があったら観てみよう。

 さて本作、DVD鑑賞から10年が経過している。
驚いたなぁ、以前は三船敏郎、京マチ子、森雅之の語る話が、
三者三様だったことしか記憶に残っていなかったようだけれど、
志村喬の話にオチがあったのにはビックリしてしまった。
この部分だけ、まったく新作を観るような気分だった。
いやぁ、同じ作品でも時を経て鑑賞すると、
見えていなかったものや忘れていたことを思い出すものだ。

それにしても三船敏郎、京マチ子、森雅之の鬼気迫る演技は凄い。
制作時、三船敏郎30歳、京マチ子26歳、森雅之39歳である。
森雅之は確かに手慣れた感はあるけれど、
ほかの二人は気迫がほとばしっている。
気迫がほとばしると言えば46歳の上田吉二郎も凄い。
志村喬と千秋実の話を聞く下人の役だが、
自分の知っている上田吉二郎とは全然違ってシリアスな名演技である。

以前の鑑賞記録メモを再掲して、記事は削除しておこう。


**************** 2019年5月15日 記 *********************

 芥川龍之介の短編小説「藪の中」が原作。
これは凄い。
まさに事件は藪の中だ。

実生活でも時折感じるのだが、
ある事象に対するとらえ方の差異。
人によって感じ方が違うのは当たり前だが、さらに事実までもが
異なったとらえ方をしているという現象。

もうかれこれ30年以上前の話だが現在の地に転勤になる際、
高校時代の友人が送別会を開いてくれた。
中には高校卒業以来だから18年ぶりの再会、
という友人もいた。

その中の一人H君、会うのは自分の結婚式以来なので、
15年ぶりの再会ということになる。
彼とは親友というほどではなかったが、麻雀をしたり家に泊まりに行ったり
比較的親しい友人だった。
ちょっと内容を言うには憚りがあるのだが、
二人の間にちょっとした事件があったことがある。

その事件はお互いにとって味の悪い、あまり思い出したくないものだった。
特に悪いのは自分のほうで、彼にはまったく非がない。
自分は、あまり話題にはしたくなかったのだが
久し振りなので当然のように話題になった。

その時、感じたのは自分がとらえていた事実関係と、
彼が事実だと思っていたことが、違っていたのだ。
これには驚いた。
ある意味加害者と被害者なので立場上そういうものなのかとも思ったが、
まだ今ほど記憶力が悪いとは思っていなかったので、
自分のほうが正しい記憶ではと正直驚いたものだ。
確かに小さい頃の記憶はあまりないし、
その後もそれほど沢山のことは憶えていない自分ではあるが…
本作を最初に鑑賞した時、そのことを思い出した。

 時は平安の世。
武士の金沢とその妻・真砂は、都に程近い山中で出会った盗賊の多襄丸に騙され、
真砂が夫の目の前で手籠めにされてしまう。

事件は検非違使が預かることになり、多襄丸、真砂、目撃者の杣売りと旅法師、
そして被害者である金沢の霊までもが証言することになる。
ところが、各々の証言は、全てくい違ってしまう。
まさしく事件は藪の中、混迷の極みである。

鑑賞した黒澤監督の作品中では一番面白いし、名作ではないかと思っている。
人間の事実認識が、いかにその人の立場や感覚で変貌してしまうものか、
恐ろしいものがある。
これは最近の脳科学で少し明らかになっている脳の働きに
由来するものなのだろうなと、再鑑賞の時点では思った。
記憶、事実認識は脳の都合のよいように変質して記憶する、
いわゆる記憶の捏造である。

京マチ子、綺麗だな。
5月12日、お亡くなりになられた。
昨日、「女系家族(1963年)」を観たばかりだった。
ご冥福をお祈り申し上げる。(合掌)


********************************************************

 今回の劇場鑑賞で思ったのだが、金沢とその妻・真砂、
そして多襄丸が語った事実は、それぞれが自分のプライドを保つために
捏造した記憶ということになるのだろうと思う。
本当は志村喬が二度目に語った話が事実に近いのかもしれない。
もっとも彼も自分の盗みを隠蔽するため、嘘をついたことになるのだが…
旅法師が人間不信に陥るのも分かるような気がするが、
ラストに用意されているのは「それでも私は人間を信じる」という希望であった。

それにしても…
この手の記憶違いの話でいつも考えてしまうのが、内田樹さんの言葉。
「私たちは記憶を捏造する。経験したことを忘れ、経験していないことを思い出す。
事後的に大きな意味をもつことになった出来事にはリアルタイムでも強い関心を持っていた(場合によってはコミットしていた)ことになっているし、当時は大事件だったがその後忘れられた事件は、リアルタイムでもまるで興味がなかったという話に作りかえられる。私たちは常に無意識のうちに記憶の事後操作を行っている。」

これは2013年7月12日のブログ(内田樹の研究室)からの抜粋だが、
何度読み返しても腑に落ちる。
自分の記憶保持力の弱さと合わせて考えると、記憶の捏造だらけの人生かも…

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