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zoom RSS 【WMV鑑賞】リプリー

<<   作成日時 : 2018/05/13 20:36   >>

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リプリー
 制作年  1999年
 監督   アンソニー・ミンゲラ
 出演   マット・デイモン、グウィネス・パルトロウ、
      ジュード・ロウ、ケイト・ブランシェット、
      フィリップ・シーモア・ホフマンほか
 劇場公開 2000年8月
 録画日  WMV形式 2002年3月10日
      DVD形式 2006年7月8日
      BD形式  2013年12月30日
 鑑賞年月 WMV鑑賞 2002年3月頃
      DVD鑑賞 2006年7月頃
      BD鑑賞  2018年5月


 クウィネス・パルトロウ繋がりで、
こちらを先に記事にする予定だったが、
太陽がいっぱい(1960年)」を劇場鑑賞したので、
後先を予定とは逆にして記事に。
「太陽がいっぱい」の記事同様に、まずは予定していた内容を。

『本作の狙いはクウィネス・パルトロウとジュード・ロウである。
 この頃、まだ自分の中にはケイト・ブランシェットと
 マット・デイモンはいない。
 フィリップ・シーモア・ホフマンに至っては、
 さらに後になって認識するので、本作では役柄すら記憶にない。

 最初は「太陽がいっぱい」のリメイクとは 気づかずに観ていた。
 「太陽がいっぱい」のほうは、観ていたといっても
 中学生の頃にテレビで断片を観たにすぎなかったので、
 ストーリーを知っていた訳ではなかったのだ。
 OHPも使ってアラン・ドロンがサインを
 真似る練習をしているシーンぐらいしか記憶になかった。
 本作でも同じ場面があり、そこで初めて「ん?リメイク?」と
 気がついたという訳である。

 そういう意味では、リメイク作品を
 先に観てしまったと同等だろう。
 「太陽がいっぱい」を全編鑑賞するのは、
 記録では2005年になってからである。
 もっとも、本作の制作陣は「リメイクではない」と
 主張しているらしい。
 原作の新しい解釈…ということなのだが、屁理屈にしか聞こえない。

 ラスコリーニコフ的超人論理ともいうべき
 「高い能力を持つ者は現在の状況がいかなるものであっても、
 その能力に応じた社会的評価を受けなければならない」
 「たまたま生まれついた環境によって能力以上の評価を
 受けている者は(ディッキー)、真に高い能力を持つ者(ロプリー)の
 犠牲になっても止むを得ない」がテーマになっている。
 この論理でラスコリーニコフは下宿屋の老婆を、
 そしてリプリーは友人ディッキーを殺害する。

 「太陽がいっぱい」と大きく異なるのはラストである。
 こちらのリプリーは、するっと逃げてしまう。
 果たして、この後彼はどんな人生を送るのだろうか?
 そういう余韻のあるエンディングだった。
 作品全体にただようミステリアスな雰囲気とマッチしてて、
 自分は悪くないと思うのだが、どうだろうか。

 グウィネス・パルトロウが美しい。
 彼女の出演作品の中でも群を抜いていると思っている。
 眩しい太陽の下で美しさが一段と映える。

 そしてジュード・ロウ。
 この我儘で気難しい、どうしようもない放蕩息子を
 うまく演じていると思う。
 マット・デイモンのリプリーは、アラン・ドロンより
 計画性があって、より一層サスペンス的な感じがする。

 ケイト・ブランシェットに気がついたのは、
 かなり後になってからだ。
 しかも、「あぁ、出ていた」ではなく、
 「えっ?出ていた?」という気づき方で、
 再鑑賞時に「ホントだ」と確認した。
 情けない。

 オリジナルも十分に面白いのだが、
 自分は出演陣の好みで本作に軍配を挙げたいと思う。
 アラン・ドロンのファンには申し訳ない。』

いやぁ、読み返すと驚いてしまう。
どこで「ラスコリーニコフ的超人論理」へたどり着いたのだろう?
マット・デイモンのイメージかなぁ。

両作品とも最初に鑑賞メモを書いたのは、
鑑賞してから7、8年経過してからだ。
この間に、勝手な思い込みによる記憶の捏造が起きたのだろうか。
まぁ、時間の経過によって印象が変わったのかもしれない。
あるいは、貧乏学生が殺人事件を起こすとパブロフの犬のように
「罪と罰」を思い出すからかなぁ。

まず、本作のリプリー、アラン・ドロンよりは
賢そうに描かれているが、やはりディッキーの殺害は突発的だった。
アラン・ドロンは能力を罵倒されたが、マット・デイモンは
同性愛的傾向をなじられて殺害に至る。
しかも場所はヨットではなくボートだった。

そう、本作のリプリーは同性愛的傾向の強い人間として
描かれているのだが、前回の再鑑賞では気がつかなかったようだ。
さらに両作品ともリプリーが殺したのはディッキー/フィリップだけだと
思っていたのだが、ディッキー/フィリップの親友フレディも殺されていた。
さらに本作ではマージ(グウィネス・パルトロウ)の友人、
ピーターまでも殺害されていたので驚いた。

そして、これらの殺人も全て突発的で計画性の欠片もない。
自分が感じていた「超人思想による計画的殺人」は、
結局一つもなかったことになる。
うーん、まいったなぁ。

フィリップ・シーモア・ホフマンはフレディだった。
今回は、意識していたので気がついた。
ケイト・ブランシェットは登場場面は少ないが、
鍵になる流れを作り出す重要なキーパーソンである。
「太陽がいっぱい」には登場しないキャラクターでもある。
原作的には、どうなのだろう。

「こちらのリプリーは、するっと逃げてしまう」と記したが、
全然逃げられていなかった。
確かにディッキーのふしだらな過去を知られたくない
父親の配慮で、リプリーの疑惑は不問に付されたが…

ピーターとともに新生活を歩もうとした矢先、
ケイト・ブランシェットが登場する。
ピーターは彼女と知人関係にあり、ただ一人リプリーが
ディッキーではないことを指摘できる人物である。
最愛の人、ピーターの運命は、
ケイト・ブランシェットの登場で暗転してしまう…

まぁ、人生というものの未来は、
連綿と積み重なる過去の先にあるものであって、
リプリーが望んだように過去を消すことで得られるものではない。
考えてみると、両作品のテーマはコレかなぁ。

おっと、大事なことを忘れるところだった。
本作、制作者が語っているように「太陽がいっぱい」の
リメイク作品ではないことが腑に落ちた。
屁理屈でもない。
リプリーに焦点を当て、物語を再構築している。

グウィネス・パルトロウ、あんまり可愛くないなぁ。
記憶の中の彼女は眩しいほど美しかったのだけれど…
マルジュを演じたマリー・ラフォレのほうが可愛く見えたのは、
銀幕のせいだろうか、自分が齢を重ねたせいだろうか…



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